「3・11」と「3・16」

 「3・11」。東日本大震災から9年…梅が満開です。時間の経過と共に忘れ去られることもありますが、この日付と出来事は決して忘れられることはないでしょう。当時「想定外」という言葉が飛び交いましたが、今も私たちは「想定外」の新型コロナウイルスの脅威に直面しています。そのような危機に直面した時に、決して揺るがない土台を築いておきたいと思います。私にとって揺るがない土台、それは聖書です。

 聖書は、これまでも、今も、そしてこれからも、決して変わることのない言葉です。目に映るものや人の言葉は、どんどん移り変わっていきます。学校の教科書さえも訂正、修正が加えられ、更新されます。しかし、聖書はどんなに時代が変わろうと、読む人が変わろうと、決して変わりません。そのようなものこそ生活や人生の土台になり得ると思わされます。


新約聖書 ヨハネによる福音書 3:16(新共同訳)

3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。


 「3・16」。この聖書の言葉は、聖書の中で最も知られている御言葉であり、「聖書の中の聖書」、「小聖書」と呼ばれている御言葉で、聖書の内容を見事に表現しています。この言葉と内容(神さまが私たちを愛してくださっているという事実)も決して変わりません。時代が変わっても、人が変わっても、世界がひっくり返ったとしても、決して変わることがありません。

 神さまが私たちを愛しておられるという土台にこれからもずっと立ち続けることができますように。God bless you!

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